森田 俊の部分的に真であり、部分的に偽

モノゴトは六面体。当たり前に見えるモノ。少し視点をずらすと見えるモノ。背景を探すと見えるモノに俯瞰すると見えるモノ。そして、絶対に見えないモノ。

ワークライフバランス

ワークライフバランスや働き方改革という名のもと、今や長時間仕事を行うことは「悪」になってしまった。22:00に全館消灯する会社を皮切りに、定時でパソコンの電源を強制切断する会社や、週休3日を標榜する会社さえ出てきている。しかし、この議論はどこかで見た光景のような気がする。そう、これは「ゆとり教育※1」にそっくりなのだ。そして、この政策は学力の低下を招き、失敗した。

 

では、ワークライフバランスは失敗するのか。これは、結果次第と言える。つまり、ワークライフバランス推し進めた結果、生産性が悪化したり、企業の売り上げ・利益が下がれば失敗となり、取りやめる会社も出てくるだろう。

では、我々はどうすれば良いのだろうか?

 

まず、ワークとライフがバランスするという考え方がおかしい。ワークとライフを足して100なのではなく、互いが互いを抑圧する関係ではない。ワークも100だし、ライフも100なのだ。

ただし、ワークの生産性はあげる必要がある。いやもっというと生産性をマネジメントする必要がある。そして、その必然性はライフから生じるのではなく、あくまでワークそのものから生じるのである。

 

以下に簡単にその理由を述べる。

①企業はイノベーションを生み出さなければならない。

②大部分のメンバが日々ワークに忙殺されている会社や、高学歴×中年×男性といった単一のカテゴリメンバだけで大部分が構成されている会社からイノベーションは生まれると思えるだろうか?もちろん思えない。少なくても僕は思えない。キーワードは「考える時間の創出」×「多様性」だ。

③そして、イノベーションが生まれそうな段階では全精力を欠けて自身のリソースを投下しなければならない。その段階では他のことをある程度犠牲にしてでも。逆に言えば、平常時は通常業務にそこまで自身のリソースを投下するべきではない。(成長を表すS字カーブをご存知だろうか。Sの文字が表すとおり、傾きを垂直に近く立ち上げるためには相当程度のリソース投下が必要である。)

 

もちろん、この考え方は一定条件の狭い世界観なのかもしれないし、仕事を労働(labor)としか捕らえられない人もいるだろう。その人にとってはワークとライフは足して100になる。

でもだったら、なおさら「ワークライフバランス」なんて僕には必要ないのだ。

 

※1「ゆとり教育とは、1980年度に文部科学省が従来の詰め込み教育と言われる知識量偏重型の教育方針を是正し、思考力を鍛える学習に重きを置いた経験重視型の教育方針をもって、学習時間と内容を減らしてゆとりある学校を目指し、1980年度、1992年度、2002年度から施行された学習指導要領に沿った教育のことである。

ゆとり教育 - Wikipedia